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2006年10月31日 (火)

第28話 横浜の昼下がり

ライブハウスでライブをするにはノルマというものがある。だいたい10枚から20枚ほどのチケットを自分達で売りさばかなければならない。売れ残った分は当然自腹で払うことになる。つまり赤字だ。また、ノルマ以上のチケット代はそのまま収入になるが、僕らにとって、この夏休みで一番大きなライブでもある「横浜BBストリート」でのライブには、今までの最高となる25枚のノルマが課せられていた。一緒に出演するポップコーンポップという後輩のギャルバンはすでにノルマを達成していたというのに、情けないことに先輩の僕らは当日になってもまだ10枚ほど余りがあった。

この日、各自バラバラで横浜入りしていた。僕は昼間からドナと横浜に来ていた。昨日、「チケットが余っちゃってるんだ」とドナに相談したが、ドナの留学生友達はこの時期みんな国に帰っていて、つてがない。余ったら余ったで、その分お金を払えば済む話なのだが、やはりチケットが余るというのは出演者として気分のいいものではない。地元でのライブならばどうにか売れるのだが、横浜となると距離もあり、なかなか買ってくれる知り合いが見つけられなかった。

僕は半ば途方にくれながら昼間の横浜をドナと一緒に歩いた。僕らは「ブルーブルー」という僕のお気に入りの洋服屋に行った。港に面していて、舟をイメージした非常におしゃれな店だ。店内にはアメリカンカントリーがのんきに流れていて、世間では夏休みだというのに客は僕とドナだけだった。僕は舟の碇マークが刺繍された薄手のニットキャップを買った。その後、中華街の南門近くのチャイニーズカフェで、中国茶を2人で飲んだ。苦味と甘みが交じり合ったような妙な味のそのお茶をドナは「うまい、うまい」とガブガブ飲んでいたが、僕にはその味覚が理解できなかった。中華街を出て、横浜の街をフラフラとした。この辺りの建物は歴史が古く、大正時代から残されたヨーロッパ調レンガ造りの美しいビルを2人で眺めてながら歩いた。「赤い靴~は~てた~女の子~異人さんに連れられて~行っちゃった~」という横浜の歌をドナに教えた。ドナは「異人さん」という日本語がわからなかったみたいだ。「え?ひいじいさん?良いじいさん?どんなじいさん?」「いや、じいさんの歌じゃないよ」僕らはそんな何でもない会話をしていた。その後、横浜港に行き、マリンタワーに登った。マリンタワーの展望台からベイブリッジやみなとみらい21地区の美しい景観を眺めながら僕らは子供のようにキャッキャ、キャッキャとはしゃいだ。まだ昼間だが、夜になればそこからの眺めはさぞかし夜景が綺麗だろなと僕は思った。考えてみれば、僕は今、ドナとデートをしているのではないか、僕らは他人から見ればカップルに見えるだろうか、そんな風に思うと急にドキドキして、何だか無邪気にはしゃげなくなった。昼の時間にドナとこんなに一緒にどこかに行くなんて事はなかった。マリンタワーには横浜の美しい夜景の写真が印刷された絵葉書がたくさん売られていた。こんな夜景をドナと二人で観たら僕らはどんな会話をするだろうか。おそらく、僕もドナも何の言葉もなくなるだろう。あと5分で世界が終わるという時、僕は何をするだろう、100人の美女に囲まれてSEXをするだろうか、世界中のうまいものをたらふく食べるだろうか、あと5分で世界が終わるという時きっと僕はあの絵葉書のような夜景をドナと手を握りながら眺めるだろう。その時、きっと二人とも一言も言葉を交わすことはない。僕はしばらくそんな事を考えながら、展望台のベンチから昼間の横浜の景観に見とれていた。となりに座り、景色を眺めているドナはベイブリッジでもなく、みなとみらいでもなく、もっともっと遠くを眺めているように見えた。ドナはそんなような瞳を持っている。僕はドナの目が好きだ。愛しさに満ちた世界で一番美しい目だ。その目で彼女はこの先いったいどんな世界を見るのだろう、その世界に僕はいるだろうか。それはわかならい。それでも、今こうしてドナといられる、ただそのことだけで僕ははち切れんばかりの幸せを感じていた。ドナがボーっと景色を眺めて、一言も喋らなくなったので、僕はドナに言った「ドナの故郷も港町でしょ。」「うん。でもインチョンは横浜みたいに綺麗じゃないよ。本当に汚いの。ゴミがたくさん。空気も悪い。インチョンもいつかこんな美しい街になるといいな」きっとドナはここから遠く、韓国のインチョンの街を眺めていたのかもしれない。僕には見えないその景色にどんな思いをはせているのか、やっぱりそれも僕にはわからない事だ。

僕らはマリンタワーを降り、山下公園を散歩した。僕は余ったチケットのことを思い出した。でも、もうどうしようもない事だ。僕らが余った分のお金を払うしかない。そんな事を思っていると、僕の心を読んだのか、ドナが「チケット売ろうか」と言った。「え?どうやって?横浜に知り合いでもいるの?」「世界中の人が知り合いだよ」とわけのわからない事を言って、さっきから山下公園の中でもでもひときわ騒がしい外国人観光客の団体のもとへスタスタと向かい歩き出した。アジア系のその観光客は、韓国人だろうか、ドナとハングルでペラペラと会話をしている。「どうしたの、ドナ?彼ら誰?」僕がそう言うとドナは「今、知り合ったのよ、私、彼らが韓国人だってすぐわかったもん。」観光客は8人の団体で、みんな日本人とは少し違うファッションで、写真を撮ったり、ダンスをしたりしていた。ドナが「彼らを一緒に観光案内してあげましょ」と急に言い出した。僕はすぐにドナの考えがわかった。彼らと仲良くなってチケットを買ってもらおうという事だろう。ドナはすぐに観光人観光客の団体と仲良くなった。が、僕はその輪の中に入れなかった。8人の外人の団体は迫力がある。ドナは平気だが、僕はちょっと恐い。ドナが通訳となって、やっと彼らのリーダーみたいな中年の男性に話しかけた。「いつから日本に来てるの?」僕がそう言うとドナが中年男にハングルで話した。中年男がドナと僕を交互にみながらハングルで何やら喋り、最後に僕に握手をしてきた。それをドナが日本語で僕に伝える。「昨日、来たばかりだって。観光案内をしてくれるなんて嬉しいよ~はい握手~、だって」

ドナの奇妙な行動で、僕は男女8人の団体観光客の観光案内をすることになった。それにしても韓国人というのはどうしてこうもみんな同じ顔なのだろう、と思った。目はみんな一重でつり上がっていて唇が薄いく、顔は四角い。僕は彼らの顔を見ていると、ドナが本当に韓国人なのか疑いたくなった。本当は韓国語を喋れる日本人ではないだろうか。だって、ドナの目は二重で大きく、ぷりっとした唇で、本当にかわいい顔をしているのだもの。それに、ドナは彼らみたいにやたらとでかい声で喋らないし、彼らより何倍も落ち着きがある。韓国人の団体に混じるとドナだけが浮いて見えた。男女8人の団体観光客は、一緒に歩いていると途中で必ず何人かいなくなる。それで「どこいった?」みたいになり、はぐれた何人かはしばらくすると戻ってくる。そんな彼らと歩くと、なかなか目的地にたどり着けず、疲れる。僕とドナが最初に案内したのは「ブルーブルー」だ。ドナが「横浜で一番おしゃれな店」とでも適当に言ったのだろうか。野球のホームベースのような顔をした韓国人の男は、「これいいね」というような事を言って、あるニットキャップを気に入り、レジで買っていた。ホームベース男は満足げな笑みを浮かべて、今買ったばかりのニットキャップを被った。そのニットキャップには舟の碇マークが刺繍されていた。僕のカバンの中にはさっき買ったばかりのまったく同じニットキャップが入っているが、「しばらく被ることはないだろう」ホームベース男の笑顔を見て、僕はそう決めた。その後、彼らを連れてきたのは、中華街の南門近くのチャイニーズカフェだ。そこで中国茶をみんなで飲んだ。僕も飲んだ、が、やっぱりマズイ。韓国人たちはみんな「マッシタ、マッシタ(うまい、うまい)」と言っていた。そして、その後、大正時代から残されたヨーロッパ調レンガ造りの美しいビルを眺めに行った。そこでドナは韓国人たちに「赤い靴はいてた女の子」の歌を歌って教えた。しかしドナはやっぱり「異人さん」ではなく、「おじいいさん」と言って歌っていた。そして最後にマリンタワーを案内した。そこでドナはチケットの話を彼らにした。普通ならただの「たかり」だと思われるとこころだが、ドナの人柄の良さからか、彼らはみんな興味津々でチケットを買ってくれた。僕を指差し、「この人が歌うよ」と、そんな風なことをドナがみんなに言うと、みんな「わぁぁぁ」とか言って僕に拍手をしだした。僕はまだ何もしてないのに突然拍手をされ「どうも、どうも」とペコペコしてしまった。とにかく、チケットを買ってもらったので良しとした。彼らもきっと楽しんでくれるはずだ。そして、楽しませる自信もあった。それにしても、この日はドナの意外な姿を見たような気がした。ドナの勇気というか、根性というか、行動力は驚かされた。しかも、困っている僕の為にしてくれたことが、なによりも嬉しかった。こんな気分のときはみんなを楽しませるライブをする自信がわいてくるのだ。

次号、「第29話 横浜の夜、最後の夜」に続く・・・

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2006年10月28日 (土)

第27話 不思議な予感

そして、調子に乗った僕はもう一度キスをしてやろうとしたところ、思いっきり嫌な顔でにらまれた。最近覚えた日本語だろうか、片言で「チョウシニ、ノルナ」と言われ、僕の顔はみるみる真っ赤になってしまい、しょんぼりとした。

時間になり、2人で部屋を出ると、僕はカウンターにいたマリちゃんの顔を見ることができなかった。その後、いつものように僕はドナと『幸せ街道 100万号線』を歩きながら、どうしても気になることを聞いた。「ねぇ、ドナ、今日言ってたさ、秘密っていうのを教えてくれよ」ナオヤが今日、カラオケスタジオまでドナに会いに来た事だ。「え?あぁ、でもね、まっすぅにはまだ言わないで、って・・・秘密は守らなきゃ。でしょ?」「・・・キスした仲じゃないか~、秘密なんて必要ないよ」ドナは思い出したのか、ハハハと笑った。僕にとってドナとのキスは笑い事じゃないのだけど、ドナは何故かおもしろいしい。「ハハハ、それは関係ない」ドナはそう言うが、ナオヤとの密会と、僕とのキスは関係ないなんて思えなかった。この感じは何だ。この感じは嫉妬っていうやつだ。でも本当は嫉妬などする必要はない筈だ。僕はドナとついにキスまでしてしまったのだから、他の男に嫉妬するなんておかしな話なのだろう。「わかったよ、じゃぁ、俺は直接にナオヤから聞き出してやるんだ、いいね?」何だか自分が嫌な女みたいな性格になっている気がした。「いいよ、それならばいい。ノープログレム」ドナはそう言った。「じゃぁ、俺とドナの間にも秘密を決めよう」「え?何?」「キスしたって事。これ秘密ね」「アハハハ、OK。アハハ」

ドナと別れ、早速ナオヤに電話してやろうと思っていたが、結局その日、ナオヤに電話することはなかった。正直なところ、僕の心の中はそんなことより、ドナとのキスのことでいっぱいだった。ニヤニヤしていたし、足元はフラフラしていて、自転車が右へ左へとくねくねしていた。そうして交番の前をゆっくりと通ると、当然、お巡りさんがダッシュで僕を捕まえて「おい、ヘンなもんやってるんじゃないか?」と職務質問してきた。「お巡りさん、俺にだってニヤニヤしちゃうときっていうのがあるんだよ。素敵な余韻に浸ってるんだから邪魔しないでくれ」そういって立ち去ろうとしたが、「ちょっとちょっと」と言ってお巡りは僕を止めた。「ごめんね、でも持ち物だけ見せてもらっていいか?」ウッセーなこいつ、と小さく呟いて、大人しくポケットに入ってるものを見せた。「ほら、財布でしょ、ギターのピックでしょ、携帯でしょ、飴ちゃんでしょ、タバコでしょ、そしてライター・・・・ん?あ、タバコはダメ?」「うん、高校生でしょ、君。タバコはダメだね、ハイ、目の前で処分して。」いつもはタバコなんて持ってないのに、たまたまこの日、タバコを買っていた。でも別にもう吸いたくなかったので、言われたとおりお巡りの目の前で一本一本折ってみせた。タバコを折るとき僕は花占いのように「好き~。嫌~い。好き~。嫌~い」とふざけてみせた。20本入りのタバコを一本だけ吸ったので、残り19本のタバコは「好き」で終わった。「ほら、お巡りさん見て!やっぱり彼女、俺のこと好きなんだよ!」僕がそう言うと、お巡りは呆れたという顔で、「青春だな、君。まぁ、もう夜遅いからまっすぐ家に帰りなさい。タバコはもうダメだぞ。」そう言って去って行った。

もうすぐ、僕らにとって、この夏休み最大のイベントでもある横浜でのライブを間近にしていたのだが、僕の気持ちはドナのことと、ある不思議な予感でいっぱいになっていた。

ドナとの関係も、バンドも、全てのことが変わりそうな気がした。何かが最高の方向へ向かい始めているのを、不思議だが、僕はこの夜に実感していた。今以上にワクワクしてドキドキする未来が、僕の前にいて手を振っている、そんな気がしたのだ。なんでだろう。生まれ変わるような高揚感に満ちていた。とても不思議な予感だった。

その予感が現実のものになるのは、横浜のライブを終えてからのことだ。

次号、「第28話 横浜の昼下がり」に続く・・・

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2006年10月24日 (火)

第26話 メロンソーダの味

僕はドナの唇に触れそうになった。そして、まるで火に触れたかのように僕の身体が反応して瞬間的に顔を離した。とっさの事だった。ドナは驚いたような顔をしていた。何が起きたのかまだ頭が把握しきれてないときに人は、ああいう顔をする。それは僕も同じで、何が起きたのかわからず、やはり驚いた顔をしていただろう。その時、限りなく静止状態に近いスローモーションな時間を感じた。

なんてこった。

僕は自分の唇に冷たさと甘い香りを感じた。ドナの顔のギリギリのところで僕は離れたつもりだが、やっぱり唇に触れた感触がある。冷たさと甘さだ。それは氷の入ったメロンソーダの冷たさと甘さだ。ドナが飲んでいたメロンソーダの冷たさと甘さだ。ドナが飲んで、唇に濡れていたメロンソーダの冷たさと甘さだ。一瞬よりも短い時間、僕はドナにキスをしてしまったのだ。「キャー変態!なにすんだよ!きもちわりぃ!調子のんなよ!クソガキが!イゴチョッパリガ(クソ日本人め)!死ね!ペッペ、あぁきたねぇ!クソ日本人め(イゴチョッパリガ)!ペッペッ」と言われるかと思ったが、ドナはそんなこと言わなかった。とんだ事故の被害者ドナは、ただでさえ大きなその目を、さらに大きくし「・・・ノラスムニダ・・・びっくりした」と呟いた。僕は下を向きながら、小さな声で言った「あの・・ごめん。間違えて(何を間違えたんだ?)・・ってか違くてさ(なにが違うんだ)違うって言うか、なんていうか、ドナの顔に何か付いてて、気になってよく見たくて(苦しい、苦しすぎる、そんな言い訳は)というのはもちろん冗談で(何言ってるんだ、俺)歌のパフォーマンスっていうか(そんなパフォーマンス聞いたことない)、ほら、ヨーロッパ風の挨拶っていうか(ここは日本で、俺は日本人だ)、まぁ、簡単に言うとドッキリみたいなもんで(あぁ、もう何言ってるんだ俺、だ~いせいこ~とでもやればいいのか?)あ、おいしそうなメロンソーダだ(関係ないこと言っちゃった)俺はコーラが好きだよ(今、関係ないだろが!)そうさ!(やばい、俺が暴走してる)俺は、お前の口に付いたメロンソーダがどんな味かと思ったのさ!(キマった)」いや、ちっともキマってなんてかいない。カラオケのマイクを片手に立っているんだか座っているんだかよくわからい体勢で僕は惨めな生き物と化していた。ドナはメロンソーダをまた一口飲んで、クスっと笑って、その笑顔のままで何も言わない。思わず僕もコーラを飲んで、「まぁ、その・・」と僕はまた喋りだした。スピーカーからは「キスして欲しい」のカラオケが虚しく流れっぱなしになっている。エアコンがあまり効いていないのか、部屋中が暑い。「まぁ、その・・、あれだよ・・・落ち着こう(俺がな)とりあえず冷静に(俺がな)・・俺は決して・・・どう言えばいいのかな・・・俺は決してそういうつもりでね・・そういうつもりっていうのは、なんて言うか・・(もう諦めようぜ、俺、何言ってもかっこわるいよ)いやいや、ドナさん、笑ってないで、何か言ってくれよ・・・いや、言わなくていいんだが・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・(え?)・・・・・・・・・・・・・・(何で?何で?何が起きた?)・・・・・」その時、自分に何が起きたのかわからなかった。僕のほっぺを包むように手が伸びてきて、その手に顔を抑えられたまま、僕の前にドナの顔がある、氷の冷たさ、メロンソーダの甘さ。僕とドナの唇がくっついていた。なんてこったパート2。僕はドナにキスをされた。事故なんかじゃない、あきらかな彼女の故意のキスだ。(でも何でこんなことが起きているのだ?僕をからかっているのか?何か言ってくれ、いや、言わないでいい・・・このままでいてくれ・・・)また時間がスローモーションになった。ドナからのキスも一瞬だった。でも永遠だった。スピーカーでは「キスして欲しい」がまだ流れている。最後のほう、「オーイエーイ」というカラオケのバックコーラスが聞こえた。よくわからないが、そこだけ僕は心の中で歌った「オーイエーイ」と。

ドナは顔を離してから、目を細めて、微笑んでいた。そして、小さな声で「しかえし」と言った。

「ドナ・・・・メロンソーダをありがとう」「・・・コーラをカムサムニダ」

次号、「第27話 不思議な予感」に続く・・・

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2006年10月21日 (土)

第25話 トゥー・トゥー・トゥー

(ねぇ、まっすぅ、何をそんなに悩んでいるの?)え、いや、別に悩んでいるとかじゃないんだけどさ、何て言うか、俺、すごく好きなのだよ、あの女のこと。(恋ってやつだね)恋だか愛だか知らないけど、うん、あんな女、どこにもいないような気がするよ、俺にはそう思う。(美恵ちゃん?)いや、美恵ちゃんじゃないんだ、美恵ちゃんはすごくいい子だし、こんな俺でもちゃんと好きでいてくれる、でも、美恵ちゃんじゃないんだ、美恵ちゃんは恋人だけど、二人の恋はとても中途半端に思えるんだ、美恵ちゃんじゃない、美恵ちゃんじゃないんだ。(やっぱりあの韓国人の子だね)うん、そうなんだ(じゃぁ、その子にさっさと好きだといって、美恵ちゃんとは別れるべきだよ)好きだなんて言えないよ、それになんか、そんな事言わなくてもいいような気がする。(なんで?)なんでだろ、恥ずかしいとか、振られるのが恐いとか、そういうことじゃないんだけど、言いたくないな、好きだとかなんだとか。(じゃぁ、美恵ちゃんと別れないの?)何度も別れ話をしようとしたよ、だけどいつも言えないんだ、美恵ちゃんの優しい目が言わせないみたいな。(美恵ちゃんも気付いているのかもしれないよ)え?(美恵ちゃんとはもうすぐで付き合って1年が経つだろ?1年も一緒にいる男のことなんて女はわかるんだよ、勘でね、女の勘ってすごいんだよ)じゃぁ、俺が他の女のことが好きになったってことを勘でなんとなくわかっているのに、美恵ちゃんはあえて俺にそのことを問い詰めたりしないってこと?(そういうことだね)そうだとしたら余計に俺は苦しいじゃないか(とにかく、まっすぅが、あの子に好きだと言わなければ、何も始まらないし、何も終わらないと思うよ)

っという夢から覚めるともうすっかり夕方だった。時計を見ると午後の7時になろうとしていた。「しまった!」と思い慌てて携帯を掴んだ、画面にはナオヤからの着信履歴でいっぱいだった。この日は4時からスタジオ練習でREDに集合することになっていた。横浜のライブが近かったのだ。4時から7時の3時間で新曲をなんとか完成させるつもりだった。昼近くにロバート・ジョンソンのCDを買いに行き、家で聴いていた、だがいつの間にか眠りに落ちてしまい、気がつけばスタジオ練習終了時間に目が覚めたのだ。僕は慌ててナオヤに電話をかけた。

もう練習終わったよ、何でお前はそんなに怠けものなんだ、頼むからしっかりしてくれ、ばぁぁぁか・・・・。ナオヤの暴言に寝起きの僕の心は傷ついた。ごめん、としか言えなかった。僕は自分のやることなすこと全部が中途半端に思えた。バンドだけは本気になっていたが、今の僕はそれさえも別のものに心を奪われかけていた。ドナだ。ドナに出会ってから、僕はどこかフワフワしていて、どこの地にも足を着けられずにいた。みんなごめん・・、なにか泣きそうな気持ちになった。夕方に目が覚めて、まして、家が静まり返っていたときは、よくこうやって一人感傷的な気分になることがある。

メンバーにちゃんと謝ろうと思った。練習終わりだから、きっといつものファミレスにいるに違いない。僕は自転車をこいだ。電話をしよう。いや、やっぱりやめよう。みんなに謝りに行くのもやめよう。こんな中途半端な態度は、逆にみんなからヒンシュクをかうだけだ。なんか全部が面倒くさく思えた。誰かの家に行ってマリファナでもご馳走になろうか。やめよう、くだらない。僕は自転車をただただこいだ、夕日は沈み、空はもう夜になろうとしていた。僕は中学生の頃以来、久しぶりにタバコを買った。たまに人から貰って吸ったりはしていたが、自分でタバコを買うのは、高校生になってから初めてのことだった。通りすがりのサラリーマンに火を借り、マルボロに火をつけて、プカプカと吹かしながら自転車を走らせた。五反野駅付近のネオンは雑居としていて、派手でもなく地味でもなく、なんとなく心が落ち着いたが、相変わらず気分は晴れないままでいた。こんな気分を和らげることのできる人は1人しかいるわけがなかった。

僕はドナに電話をかけた。僕はドナに電話をかけることなどめったになかった。僕はシャイなのだ・・。本当に用があり、今すぐ話さなければいけないことでも無い限り、僕はドナに電話なんてしなかったし、そもそも本当に用があり、今すぐ話さなければいけないことなど今までなかった。「ねぇ、ドナ、今どこにいるの?」「カラオケスタジオだよ。あ、韓国お土産あるよ、この前渡すの忘れちゃって、とりに来られる?」「もちろん、すぐ行くよ、今、五反野の駅前だからさ、30秒で着くよ!今日は誰と?」「今日はマリちゃんとだよ」誰?と電話の向こうでマリちゃんの声が聞こえた。「ドナ、あと3秒で着くよ!」と言って僕はカラオケスタジオの入り口ドアを元気よく開けた。「ギター貸して、今曲が思いついたんだ、忘れちゃいそうだからギター借りるよ」僕は店に入るなり、ロッカーからドナの重たいグレコを取り出し、ここに来るまで頭の中で流れた曲をコードを探しながら弾いた。[めんどくせぇ めんどくせぇ 俺にかまうな めんどくせぇ ギルぜ ギルぜ アイアム ギルティー 反逆者の発射台 血だらけの 俺はギルティー わぁあああああ]勢いのあるいい加減な詞だったが、曲調はEmのドンヨリしたものだった。なんだそりゃ、と言ってドナは笑い、うるせぇ!マリちゃんは言って、あれれ思ったより良くなかったなぁ、と僕は言った。「ハウス!」とマリちゃんが言ったので僕はグリコのギターをかかえながら大人しくいつものカラオケルームに向かった。部屋に入るとしばらくしてメロンソーダとコーラを持ってドナが入ってきた。「ドナ、今日はなんのCDも持ってきてないんだ」「いいのいいの」とドナは言った。「まっすぅ、何かあったでしょ、正直言いな」「え?なんで?」「いや、だって・・」「そこまで変だった?今の曲」「・・・はい!変!」そんなことを言って2人で笑った。

「カラオケでもしよかな」僕がそう言いカラオケの歌本をペラペラとめくった。「めずらしいね、まっすぅカラオケなんて」とドナは言った。「ボーカルは練習を怠れないのさ」そんな僕の言葉にドナが笑って言った「今日、練習サボったのにね~」「え?何で知ってるの?」「今日、練習帰りにナオヤ君が来てね、言ってた。ダメじゃない。」僕のカラオケ本をめくる手が止まった。「ナオヤ?・・・なんでナオヤがドナに会いに来たんだ?」「・・・それは、秘密なのよ」ドナの持ってきた僕のコーラの入ったコップが水滴を垂らしている。僕はとても残酷な想像に支配された。ナオヤとドナの関係、どんな関係?ドナはナオヤが好き?ナオヤもドナが好き?2人で何も知らない僕を笑っている?僕は身体中の血液が抜かれる思いだった。なぜ秘密なんだ?なにが秘密なんだ?僕はドナに好かれているかもしれないと少し思っていた、そんな思いは妄想だった?勝手な僕の思い込み?僕はドナにその秘密とやらを問いただせなかった。何かを聞けば、何かを言えば、僕はますます惨めになるだけだ。

「ふ~ん」そう一言だけ言って僕はカラオケ本を意味もなくめくった。

どれくらい時間が経っただろう、僕はカラオケ本をいつまでもぺらぺらしていた。ドナは黙ってベースを弾いている。何か、歌わないと・・そう思い、何となくブルーハーツの「キスしてほしい」を選曲した。ドナは「おう、これ弾ける、簡単」と言ってカラオケにあわせてベースを弾いた。僕は歌った。恥ずかしい歌だ。「教えてほしい 教えてほしい 教えてほしい 教えてほしい 終わることなど あるのでしょうか 教えてほしい」僕の気持ちと同じだった。何かが終わるのが恐かった。ドナを好きでいることは、何をしても楽しめるということで、そうじゃなくなったら、それはただの虚しい世界に変わる。それならば教えてほしい、僕のこんな気持ちはいつ終わるのか。ドナは楽しそうだったが、僕は楽しくなかった。僕はまた「キスしてほしい」を選曲した。ドナはまたベースを弾いた。曲が終わるとまた何度も「キスしてほしい」を歌った。ドナは呆れたりしないし、飽きたりもしない。僕は無理に笑顔を作り歌う。ドナは自然な笑顔でベースを弾く。ドナは曲が終わる度に氷の入ったメロンソーダを口に含んで「簡単簡単」と自慢する。僕はお腹が痛くなってきたので、のどの力だけで歌う。キスしてほしい キスしてほしい キスしてほしい キスしてほしい 二人が夢に近づくように キスしてほしい。僕は、ナオヤが僕に黙ってコソコソとドナに会いに来ていた事を忘れようとしていた。頭の中がトランス状態になるまで、ずっと歌った。ドナは楽しそうだ。わけがわからない、何だこの状況は、僕達は何しているのだ、誰もそんな事を言う人はいない。ドナの心に誰が映っていようと、ここは二人だけの場所なのだ。誰かに嫉妬して、僕はドナに対する気持ちが沸点に達しつつあることに気づいた。

だからあの時、僕はドナの唇にキスをしてしまったのだ。

次号、「第26話 メロンソーダの味」に続く・・・

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2006年10月13日 (金)

第24話 ムラニシと乳首の黒い女

8月になってすぐにドナは里帰りで韓国へと帰って行った。地元の友達と無邪気に遊んでいるのか、家族団らんのときを楽しんでいるのか、元彼なんかと会って涙を流しているのか。「すぐに戻る」なんて言っていたが、ドナからしてみれば大学の夏休みが始まるまで日本に来る理由がない。すぐには戻らないような気がした。ドナはこの前、大学の休みが9月の末まであると言っていた。ドナはまだ18歳の女の子だ。心置きなく話せる昔からの友達と遊んでいるいるほうが幸せに決まっている。もしかしたらこのままずっと韓国から帰ってこなくなるのではないか。そう思うと僕は真夏の中で恐ろしい寒気を感じた。

8月のはじめ、その日はバンド練習もなく、僕はやることがなかった。セミの狂ったような泣き声と、強烈な蒸し暑さに起こされたのはお昼だった。ベッドから這い出て、なんとなく家のベランダに出た。まだ半分寝たままの頭でそこから夏の高い空をぼんやり眺めていた。東京湾から吹き付ける南風は、臨海で副都心の高層ビルに遮断され、都市部でアスファルトに熱せられたジメジメとした熱が、足立区を支配していた。僕はそんなヤケクソになったかのような気だるい暑さが、心地よくさえ感じていた。良いことも悪いことも、全てを忘れさせる蒸し暑さだ。ベランダでぼんやりしているだけで、パジャマ代りの僕のTシャツは汗に濡れていた。「だめだ、何も考えないようにしても、ドナの事が頭から離れない。全てを忘れさせるこの暑さの中ですら、ドナのことが頭にこびりつく。早く韓国から帰ってこないかな。ってかドナが行ってからまだ3日しかたってないけどね。。なんだろうね、こんな不安は。。」僕は誰に向かって言うわけでもなく、自然とそう独り言を吐いた。

ベランダの下で、小気味のよいバイク音と白いボディーのスクーターがやってくるのが見えた。僕の家の隣に住んでいる、幼馴染のタカだ。タカはヘルメットも付けず、コンビニ袋をハンドルにぶら下げてやってきた。「おい、なんだ、お前、今起きたのか?」寝グセの頭と、腫れぼったい僕の目をみて、タカは下から僕に言った。「お前は季節関係なく、よく寝るなぁ」タカはそう言ってスクーターのエンジンを止め、コンビニ袋からサイダーを取り出しゴクゴクと飲んだ。「くれ」俺がそういった頃にはサイダーはなくなりかけていた。タカは下からベランダの僕に野球仕込みのナイスなコントロールでサイダーのペットボトルを投げてよこした。「お前も暇そうだな」僕はそう言いながら残り少なくなったサイダーを飲み干した。「龍軒でも行くか」タカがそう言った。

僕はタカのスクーターの後ろに乗り龍軒へと向かった。龍軒とは僕らが通っていた中学校のすぐそばにある小さな中華料理屋で、天津飯が旨い。龍軒はラーメンが200円、天津飯が300円と安い。そのため、お金のない学生に人気で、たまにホームレスのような人も来るのだ。僕もタカもここに来るのは久しぶりだった。「あら、久しぶりじゃない、あんたたち」僕とタカが龍軒ののれんをくぐるとそう声をあげたのは、みんなからタマオと呼ばれている龍軒のおばちゃんだ。中村玉緒にソックリのおばちゃんだからそういうニックネームがついている。「タマオちゃん、久しぶり~、天津飯2つね」カタがそういって黄ばんだ汚い席に腰をおろす。「あんたたち、ちゃんと高校は行ってんのぉ?」そう言ってタマオが水を2つ置いた。「もう、楽しくてしょうがないわ」と僕が言う、「俺はつまらんな、まともな女がおらんもん」とタカが言った。「そりゃ、お前、俺が反対しただろ、工業なんてやめろって」僕は中学生の頃、タカが工業高校の受験を受けると聞いたとき反対したが、小学生の頃からラジカセなどを分解するのが好きだったタカは結局、工業高校へ行ってしまった。「お前、反対なんかしたか?」タカが水を飲みながらそう言った。「したよ!工業高校なんて女の少ねぇとこなんか行っても楽しかねぇぞって、高校生になったら女のケツを追っかけるような青春を一緒に送ろうって、俺、言ったのにさ」「女のケツかぁ、俺のクラスの女といったら、ゴジラとモスラみたいな女しかいねぇからな、ゴジラのケツはきたねぇだろうな」「おい、タカ、どんな女に対しても、ゴジラなんていうのは失礼だぞ、せめてメカゴジラと言ってやれ、ははは、工業女バンザイだな、ピッカピッカのケツだろ、メカゴジラは、ははは、ガッシャンガッシャンって音立ててセックスすんのか、合体ロボだな、あはははは」「あはは、じゃねぇよ!お前はいいよな、青地高校の女は美女ぞろいだろ?」「そうでもないさ、隣の芝生は青く見えるもんさ、まぁ、メカゴジラはいないけどね、てか、工業女は真空管でオナニーするってホントか?」「聞いたことねぇよ!」僕とタカがそんな下品な話をしているとタマオちゃんが天津飯を2つ運んできた。

「懐かしいなぁ」僕はそういって龍軒の天津飯を口に運んだ。「やっぱ、ここの天津飯はしょっぱくて旨いなぁ、なあ、タマオちゃん、旨いよ!」僕がそういうとタマオちゃんは得意げに「プロだからね、旨いもんを作るのが仕事だよ」と言って笑った。「この前、吉井たちが来てね、増山がバンドやってるって聞いたよ」タマオちゃんがそう言った。「そう、俺は正しい青春をおくってますからね」「お前、昔からバンドやろ、バンドやろって言ってたもんな、そんなにいいもんか、バンドって」タカが天津飯をほおばりながらそう言った。「やっぱ最高じゃな、俺の信じてたものは間違っていなかったって思ったね、なぁ、タカ、今度ライブ来いよ」「あぁ、うん、まぁ、そのうちな」

僕らは天津飯を食べ終えてもしばらく龍軒に居座り、中学生時代の話しをした。「そういえば、ムラニシはどうなったんだろ」僕がそう言うとタカは少し面倒くさそうな顔で言った「あぁ、ムラニシね、サツにパクられたんじゃねぇかな、去年だったかな、コンビニにムラニシの指名手配の写真載ってたよ。暴行容疑だってさ」「へぇ~、暴行容疑ねぇ、余罪だらけだろ、あいつは」僕がそう言った。「そういえばムラニシに出会ったのも、龍軒だったな」タカがそう言った。中学2年生の頃、僕らは学校帰りにこの龍軒でたまっていたころ、ムラニシと名乗る汚い格好のおじさんに出会った。ムラニシは20代だが、40歳くらいに見えた。だらしないヒゲをはやし、髪もボサボサで臭く、猫背で、常に人を殺しそうな目つきをしていて、東北なまりだった。僕らが特にやることもなく、いつものように龍軒でだらだらとしていたときに、龍軒の隅のカウンターで一人ビールを飲んでいたムラニシは、唐突に僕らに話しかけてきた。「よう、ボウズたち、暇か?」

「あんとき、急に声かけられて、俺ビビったぜ、殺されんじゃねぇかって」僕がそうタカに言った。「人殺しの目だったからな」タカはそういって笑った。

人殺しの目をしたその男は「マリファナを吸わせてやる」と言ったので、僕らはムラニシのアパートへ付いていった。ムラニシのアパートは今にも崩れてしまいそうなボロアパートだった。台所の流しには鍋やら皿やらが放置されたままになっていて、虫が飛んでいた。ムラニシの部屋はジメジメしていて臭くて不快だった。そして部屋中に週刊誌が山済みにされていた。ムラニシは布団の下からビニール袋に入ったマリファナを取り出し、3000円でいいよと言った。僕らの友達で、特に強面の達也がムラニシに睨んで言った。「てめ、俺らにこんなパチモン売りつけようってぇのか?殺すぞ」達也の言うとおりマリファナは明らかな偽者だった。「え?わかる?そうだよ、これアジサイの葉を乾燥させたやつだよ、そっくりだろ、あははははは」気持ちが悪くなったのか達也たちは「くっだらねぇ」と一言吐いて出て行った。僕やタカたちは面白そうな人だと思い、ムラニシに興味を持ち、その後もムラニシのボロアパートに居座った。

ムラニシはアジサイの葉をマリファナだと言い田舎者に売りつけたり、拾ってきた週刊誌を路上で売ったりして生計をたてていた、どうしよもない社会不適合者だった。「俺も青森から上京するときは、ちゃんと夢があったんだ、人並みに稼いで、綺麗な嫁を見つけて、幸せな家族をつくって暮らすってさ」いつかムラニシが僕にそう言った。ムラニシは上京してきてから5~6年たとうとしていたが、結局、なにもしないままだった。ムラニシは僕らにモザイクの入っていないアダルトビデオを見せてくれたり、酒やタバコやドラッグ、人の殺し方まで、たくさんの教育上よろしくない事を僕らに教えた。僕に横浜のハーフの女の子を紹介してくれたのもムラニシだった。僕とムラニシとの共通の話題はロックンロールで、ムラニシはドアーズやツェッペリンなど、ブルースロックを僕に聴かせてくれた。

僕らがムラニシの家にたまるようになってから、ムラニシはどんどん堕落していった。アジサイを売りつけることも、路上で雑誌を売ることもあまりしなくなり、ただただボロアパートで、だらだらと廃人のような生活をしていた。そしてムラニシは覚醒剤にはまるようになっていった。毎日毎日、注射器で自分の血管に覚醒剤を流し込んでは「おぉぉエクスタシ~」と叫んでいた。「お前もやれ」と僕に使い古しの汚い注射器を差し出すが、僕はいつも「いい」と言ってただただムラニシのドアーズやツェッペリンを聴いていた。いつしかムラニシは病気になり、入院することになった。

「あいつ、どうやって金を手に入れてたんだろうな」とタカが言った。「なんでも、女から金をせびてたらしいよ」僕はそういうとタカは思い出したかのように、「女って、あの乳首の黒い女か?」と言った「そう、たぶんあの女だろ、あの乳首はショッキングだったな」と言って、僕とタカは苦笑いをした。「俺は今でのあの乳首はトラウマだな」とタカが言った。

乳首の女とは、僕らがムラニシとの付き合いを絶つきっかけになった女だ。その日、中学校で健康診断があった。健康診断の内科診察でブラジャーを外さなきゃいけないのが嫌だ、と言うわかいい女子の為に僕らは「健康診断反対」を唱えた。学校に入ってくる医者に向かい、校舎から拡声器で「セクハラじじい帰れ~!女子の胸見にきたのか~!帰れ~!」と怒鳴って、すぐに教師に取り押さえられた。医者に罵声をあげるくらいしか健康診断に反対する術がなかった。結局、健康診断は予定通り行われることになった。女子の内科診察の会場は、窓を全部カーテンで隠した視聴覚室で行われた。「あの部屋の中で○○さんも、○○ちゃんも、エロ医者に胸をさらけ出してるのか」そう思うと、まだ童貞だった僕らには残酷なことに思えた。「ちょっと覗きに行こうか」と誰かが言った「さすがにまずいだろ」と誰かも言った。「いや、行こう!ここでこうしてるのは苦痛だ!男なら闘おう!」僕はそう言って再び拡声器を握った。僕らは何人かの教師の制止を一気に振り切り、視聴覚室のドアを開けた。僕は視聴覚室に入って拡声器で「中止しろって言ってるだろ!なんでブラジャー外さなきゃいけないんだ!おかしいだろ!セクハラじゃないか!中止しろボケェェ」というセリフを言おうと決めていたが、その瞬間、誰一人、言葉がでなかった。視聴覚室の光景が信じられないものだったからだ。僕らがドアを開けると、女子生徒達は一瞬固まり、すぐに「キャー!」とか、「うっそ~!」とか「信じられない!」とか言って騒いだ。何人かの女子はすでにブラジャーを外していた。すぐに胸を隠し、しゃがみこんで、泣き出した子もいた。「ごめん!」と言って僕らはすぐに視聴覚室を走って出た。みんな混乱していて、ただただ、走って、学校も飛び出してしまった。

僕らは学校を飛び出して、少しし、冷静になった。「見たか?」「乳首・・・」「○○ちゃん、あんなに胸でかかったんだな」「色、見た?」「おう、綺麗なピンク色」「俺もう我慢できねぇ、勃起がおさまわねぇ」「おい、ここでしこるなよ」「雑誌でみる乳首の色と違ったな、あんなピンク色の乳首はじめてだよ」「でも、悪いことしたな、泣いてた奴いたな」「もう、この学校の女子は俺達に付き合ってくれないな」「はははは、いいよ別に、いいもん見たし」「心なしかいいニオイしてたな」「わかるわかる、肌のニオイだろ」童貞男たちはしばらく盛り上がった。誰一人、退学になるかも、とか、女子に軽蔑されるかも、とかそんなことを言う奴はいなかった。みんな学ランのズボンの股の所がモッコリしていた。

一度学校を飛び出してきた僕らは途方にくれて、なんとなくムラニシのアパートに行こうということになった。鍵のかかっていないムラニシの部屋のドアを開けると、そこではムラニシが中年の醜い女を布団の上で抱いていた。僕らは玄関の前で凍りついた。人のセックスを生でみたのは、当然みんな始めてのことだった。ムラニシが玄関の前で立ち尽くす僕らに気付き「よう、今、とりくんでるからさ、終わるまで待ってて」と言った。ムラニシの上に乗り全裸の中年女性は一瞬こちらを向いてすぐにまた腰を動かし始めた。まるで僕らがいてもいなくてもお構いなしのように、心のないおばさんに見えた。「おい、どうした、そんなとこでジロジロ見んなよ、上がってビールでも飲んでろよ」ムラニシがそう言った。「いいよ」僕はそう言ってムラニシのアパートから逃げるように走った。今日はよく走る日だな、と思った。みんなもムラニシの部屋にはあがらなかった。僕らはみんな傷ついていた。大人のセックスというものがあんなに惨めなものだとは知らなかった。セックスとはもっと魅力的な事だと思っていた。それにムラニシの抱いていた女の乳首が真っ黒だった事にショックを受けていた。今日、中学生の女子の乳首をみんなで見たばっかりだった。ピンク色の、本当に純粋な胸だった。しかし、ムラニシの部屋にいた全裸の女の乳首の色は、汚れていた。クラスの女子達もいつかはあんな色の乳首になり、汚いアパートで汚い男に抱かれ、心のないおばさんになり、不快なセックスをてしまうようになるのか、そう思うと吐きそうになった。

結局、あの日以来、僕らがムラニシのアパートに寄ることはなくなり、知らないうちに、ムラニシの部屋も空き家になった。その後、北千住でムラニシを見かけたという奴もいれば、地元に帰ったという噂もあれば、あの乳首の黒い女と結婚したのではないかという話まであった。タカは警察に捕まったというが、それが一番信憑性のある話だと僕は思う。

「乳首の黒い女はどうなったんだろうな」タカが僕にそう言った。「さあね。ムラニシがいなくなっても、ああいう女はどこかでのうのうと生きていけるだろ。」僕らは龍軒を出た。外はもう夕日が街を照らしていた。タカが言った、「俺、メカゴジラでも、乳首が黒くなきゃいいや」

それから5日ほど経った頃、ドナが韓国から帰ってきた。しばらくムラニシと乳首の黒い女のことが頭から離れないでいた僕には、ドナが天使に思えた。

次号、「第25話 トゥー・トゥー・トゥー」に続く・・・

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2006年10月 2日 (月)

第23話 幸せ街道 100万号線

「なぁ、ドナ、隠れ家って日本語わかる?」「カクレガ・・さぁ?」「そっか、じゃあ秘密基地は?」「秘密な基地ですね。何?秘密な基地って?NASA?」NASAという発想がおかしくて笑いそうになったが、やめた。違うよ、と僕は言った「違うよ。ってかNASAって秘密なの?」ドナは太股に乗せているグレコのギターの上に腕を組んで小さな声でこう言った、「NASAは秘密ありそうよ」「まぁ、確かにNASAにはあるかもね」ドナはアメリカ人がやりそうなジャスチャーで「イッツァ ミステリー」と腕を広げた。「いえす あいきゃん びこーず ないす べたー」「あら、ひどい英語ね」「そうなのだ、俺、英語は2さ。5段階表記で2なの」「ロック好きなのに」「関係あるか、それ?」「だってまっすぅ、あなたの好きな歌は、ほとんど英語よ」僕とドナのいるカラオケルームにはいつも音楽が流れていた。DJは僕で、今日はこんなCD持ってきました~ってな感じでドナの為にBGMを選んできていた。このとき流れていたのはローリングストーンズの泣く子も黙る名曲「サティスファクション」だ。カラオケルームの天井からぶら下がったBOSSのスピーカーから、ミックジャガーは何度も何度も叫ぶ「アイキャンゲンオ~ サ~ティ~ファクション」と。「ねぇ、ドナ、これはなんて言っているの?アーキャンゲンオ~ サ~ティ~ファクションってさ」「I CAN'T GET NO. SATISFACTIONって言っているのよ」ドナの英語はネイティブのように綺麗な発音だった。「だから、どういう意味さ」まぁ、簡単に言うと、とドナが答えた「まぁ、簡単に言うと、ナヌン アニオルン オットル・・」「いやぁ、韓国語じゃわかんないよ・・」「う~ん、何か、すごく不満だ!みたいな事よ、Can not の後にさらに noという否定で、すごく否定的よ、おもしろいでしょ?言葉って」僕はドナの言っていることがよくわからなかったので、話を元に戻そうとしたが、何の話をしていたのか忘れた。「あれ、ドナ、何の話だったけ?」ドナはメロンソーダを一口飲んで言った「NASAよ」「あぁ、そうだ、NASA、NASAってさぁ・・・ってバカ、違うよ、秘密基地の話だよ!」「あぁ、秘密の基地ね。それがどうしたの?」秘密基地というもののニュアンスがドナにはっきり伝わっていない。僕が言いたいのは、少年が空き地とか廃墟とかそういうところでスパイや地球防衛モノのヒーローになりきって作る秘密基地、つまり自分達だけの隠れがの事だ。少年の心を素直に刺激する「秘密基地」という青臭い響き、あの感じがドナには伝わっていない。ドナの頭の中のイメージはきっとUFOの飛行実験をしたり、宇宙人を解剖したりしているNASAの光景だろう。そもそもNASAってそんな組織なのか?「ドナ、秘密基地って、NASAとか関係ないよ・・」「・・ふ~ん」ドナがメロンソーダをまた飲んだので、僕はコーラを飲んだ。「そうだ、ハックルベリーは知ってる?」「知ってる知ってる、ノーマンロックウェルの子供向けの小説でしょ」ノーマンロックウェルが子供向けだなんて知らなかった、僕はついこの前までノーマンロックウェルの「トムソーヤの冒険」という小説を心弾ませて読んでいたというのに。「そう、それに出てくるじゃん、ハックルベリーって。そのハックの木の上の家、あんな感じだよ、秘密基地って」でも、とドナは言った「でも、読んだことない・・」「じゃぁ、アニメは?」「アニメでやっていたの?知らない・・」ドナが知らないのは無理もない、トムソーヤの冒険のアニメは「世界名作劇場」という日本のアニメシリーズのものだ、韓国人のドナが知るわけがない。そうだ、と思い、僕はカラオケの歌本を開いた。アニメというジャンルにトムソーヤの冒険オープニングソングが載っていた。僕は早速、リモコンでトムソーヤを選曲した。カラオケのテレビに世界名作劇場トムソーヤの冒険のオープニング映像が流れた。映像にハックルベリーの木の上の家が映ったので、そこで一時停止した。「これ!これがハックの家!この木の上の家が秘密基地の理想系なんだよ」「可愛らしい家ね」とドナは言った。「違う、かわいらしいとかじゃない、かっこいいんだ、少年の憧れだよ」「でも、・・・・NASAよりはかわいいよ」「・・・・・」僕らはもう何の会話をしているのかわからなくなっていた。

僕は結局、「秘密基地」の話をやめ、話題を「夏休み」に変えた。今日から僕は夏休みになった。僕は高校に入学してから365日夏休み気分なので、さして夏休みと言っても、小学生の頃みたいにワクワクしなくなっていた。でも、夏は好きだ。「ドナの大学にもあるでしょ?夏休み」「ありますよ。9月の終わりまでずっと休みです」僕は大学生の夏休みがそんなに永いものだとはじめて知った。ドナは大学のレポートが完成して、提出でき次第、夏休みになるらしい、終業式のようなものはなく、個人的に夏休みをとることができると教えてくれた。「インチョンには帰るの?」僕は少しさびしそうな顔をして聞いた。「少しね、家族の顔を見て、友達と遊んで、すぐに日本に来るよ」それを聞いて僕は安心した。ドナはホームシックになるような心の弱い人ではない。ドナの口から「国に帰りたい」なんて一言も聞いたことがない。でも故郷が恋しいに決まっている。異国の地に来てから4ヶ月が経とうとしていた。ドナはまだ18歳の女の子だ。僕はというと、夏休みもライブ三昧の予定だ。でも、ドナと旅行に行きたいと思った。しかしそんなお金も、度胸もなかった。

突然、ナオヤとタイラがカラオケスタジオにやってきた。「たまたま、店の前を通りかかったから」という安直な理由で、僕はドナと二人きりの時間を奪われた。ナオヤとタイラが加わり、僕がドナと二人きりの大好きな一時がくだらないカラオケ大会になってしまった。ナオヤは忌野清志郎や吉田拓郎などを歌って、タイラは田原俊彦や西城ヒデキを歌った。どいつもこいつも古いレパートリーでいったいいつの時代の高校生だか。ドナはドナでフォークフルセイダースやブルーハーツだ。しかしドナの歌にはみんな盛り上がった。テレながら不器用に歌うドナはかわいかった。でも、一瞬見せる鋭い目つきが、ジャニス・ジョップリンを思わせた。僕はカラオケが苦手で、歌いたくなかったが、しかたなしに「トムソーヤの冒険」を1曲だけ歌った。ナオヤとタイラは「なんだそりゃ」というような顔をしたが、ドナは笑ってくれた。カラオケの採点機能では、トップがタイラで、次がドナで、ビリから2番目がナオヤで、ビリが僕だった。普段、バンドでボーカルをしている奴と、ギター弾きながらコーラスしている奴の成績が悪いのは仕方がないのだ。カラオケとはそういうもので、バンドに慣れている人ほどカラオケは苦手だ。逆にカラオケで上手く歌える人は、バンドのボーカルをやったとき使い物にならなかったりする。プロのボクサーが、ボクシングのテレビゲームが得意とは限らない、むしろ苦手だろう。そんな言い訳を僕とナオヤは高得点の2人の素人に向かって必死になっていたら、バイトの交代時間が来てしまい、僕らはカラオケルームをわさわさと出た。

ナオヤとタイラは充分楽しんだらしく、カラオケスタジオを出るとすぐに帰ってしまった。僕はいつものようにドナを家まで送る。カラオケスタジオからドナの住んでいるリコの家まで、こうして二人で歩くのが当たり前の習慣になっていた。いつまでこんなことが続くのか、わからなかったし、わかりたいとも思わなかった。途中でドナに「秘密基地」の話をした。「なにが言いたかったかってね、カラオケルームは俺にとって秘密基地みたいに思うんだって言いたかったの。ハックルベリーが木の上の家なら、俺の秘密基地はカラオケスタジオのあのカラオケルームなんだ」「うん、私、たぶん、まっすぅはそういうこと言うんじゃないか、そう思ってた、そしたら本当にそう言う、おかしいね」そう言ってドナは笑った。

あぁ、7月の夜ってこんなに暑かったんだ、僕はそう思った。

僕はその日、カラオケスタジオからリコの家までのいつものその短い道にダサい名前をつけた。「幸せ街道 100万号線」と。

次号、「第24話 ムラニシと乳首の黒い女」に続く・・・

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