第28話 横浜の昼下がり
ライブハウスでライブをするにはノルマというものがある。だいたい10枚から20枚ほどのチケットを自分達で売りさばかなければならない。売れ残った分は当然自腹で払うことになる。つまり赤字だ。また、ノルマ以上のチケット代はそのまま収入になるが、僕らにとって、この夏休みで一番大きなライブでもある「横浜BBストリート」でのライブには、今までの最高となる25枚のノルマが課せられていた。一緒に出演するポップコーンポップという後輩のギャルバンはすでにノルマを達成していたというのに、情けないことに先輩の僕らは当日になってもまだ10枚ほど余りがあった。
この日、各自バラバラで横浜入りしていた。僕は昼間からドナと横浜に来ていた。昨日、「チケットが余っちゃってるんだ」とドナに相談したが、ドナの留学生友達はこの時期みんな国に帰っていて、つてがない。余ったら余ったで、その分お金を払えば済む話なのだが、やはりチケットが余るというのは出演者として気分のいいものではない。地元でのライブならばどうにか売れるのだが、横浜となると距離もあり、なかなか買ってくれる知り合いが見つけられなかった。
僕は半ば途方にくれながら昼間の横浜をドナと一緒に歩いた。僕らは「ブルーブルー」という僕のお気に入りの洋服屋に行った。港に面していて、舟をイメージした非常におしゃれな店だ。店内にはアメリカンカントリーがのんきに流れていて、世間では夏休みだというのに客は僕とドナだけだった。僕は舟の碇マークが刺繍された薄手のニットキャップを買った。その後、中華街の南門近くのチャイニーズカフェで、中国茶を2人で飲んだ。苦味と甘みが交じり合ったような妙な味のそのお茶をドナは「うまい、うまい」とガブガブ飲んでいたが、僕にはその味覚が理解できなかった。中華街を出て、横浜の街をフラフラとした。この辺りの建物は歴史が古く、大正時代から残されたヨーロッパ調レンガ造りの美しいビルを2人で眺めてながら歩いた。「赤い靴~は~てた~女の子~異人さんに連れられて~行っちゃった~」という横浜の歌をドナに教えた。ドナは「異人さん」という日本語がわからなかったみたいだ。「え?ひいじいさん?良いじいさん?どんなじいさん?」「いや、じいさんの歌じゃないよ」僕らはそんな何でもない会話をしていた。その後、横浜港に行き、マリンタワーに登った。マリンタワーの展望台からベイブリッジやみなとみらい21地区の美しい景観を眺めながら僕らは子供のようにキャッキャ、キャッキャとはしゃいだ。まだ昼間だが、夜になればそこからの眺めはさぞかし夜景が綺麗だろなと僕は思った。考えてみれば、僕は今、ドナとデートをしているのではないか、僕らは他人から見ればカップルに見えるだろうか、そんな風に思うと急にドキドキして、何だか無邪気にはしゃげなくなった。昼の時間にドナとこんなに一緒にどこかに行くなんて事はなかった。マリンタワーには横浜の美しい夜景の写真が印刷された絵葉書がたくさん売られていた。こんな夜景をドナと二人で観たら僕らはどんな会話をするだろうか。おそらく、僕もドナも何の言葉もなくなるだろう。あと5分で世界が終わるという時、僕は何をするだろう、100人の美女に囲まれてSEXをするだろうか、世界中のうまいものをたらふく食べるだろうか、あと5分で世界が終わるという時きっと僕はあの絵葉書のような夜景をドナと手を握りながら眺めるだろう。その時、きっと二人とも一言も言葉を交わすことはない。僕はしばらくそんな事を考えながら、展望台のベンチから昼間の横浜の景観に見とれていた。となりに座り、景色を眺めているドナはベイブリッジでもなく、みなとみらいでもなく、もっともっと遠くを眺めているように見えた。ドナはそんなような瞳を持っている。僕はドナの目が好きだ。愛しさに満ちた世界で一番美しい目だ。その目で彼女はこの先いったいどんな世界を見るのだろう、その世界に僕はいるだろうか。それはわかならい。それでも、今こうしてドナといられる、ただそのことだけで僕ははち切れんばかりの幸せを感じていた。ドナがボーっと景色を眺めて、一言も喋らなくなったので、僕はドナに言った「ドナの故郷も港町でしょ。」「うん。でもインチョンは横浜みたいに綺麗じゃないよ。本当に汚いの。ゴミがたくさん。空気も悪い。インチョンもいつかこんな美しい街になるといいな」きっとドナはここから遠く、韓国のインチョンの街を眺めていたのかもしれない。僕には見えないその景色にどんな思いをはせているのか、やっぱりそれも僕にはわからない事だ。
僕らはマリンタワーを降り、山下公園を散歩した。僕は余ったチケットのことを思い出した。でも、もうどうしようもない事だ。僕らが余った分のお金を払うしかない。そんな事を思っていると、僕の心を読んだのか、ドナが「チケット売ろうか」と言った。「え?どうやって?横浜に知り合いでもいるの?」「世界中の人が知り合いだよ」とわけのわからない事を言って、さっきから山下公園の中でもでもひときわ騒がしい外国人観光客の団体のもとへスタスタと向かい歩き出した。アジア系のその観光客は、韓国人だろうか、ドナとハングルでペラペラと会話をしている。「どうしたの、ドナ?彼ら誰?」僕がそう言うとドナは「今、知り合ったのよ、私、彼らが韓国人だってすぐわかったもん。」観光客は8人の団体で、みんな日本人とは少し違うファッションで、写真を撮ったり、ダンスをしたりしていた。ドナが「彼らを一緒に観光案内してあげましょ」と急に言い出した。僕はすぐにドナの考えがわかった。彼らと仲良くなってチケットを買ってもらおうという事だろう。ドナはすぐに観光人観光客の団体と仲良くなった。が、僕はその輪の中に入れなかった。8人の外人の団体は迫力がある。ドナは平気だが、僕はちょっと恐い。ドナが通訳となって、やっと彼らのリーダーみたいな中年の男性に話しかけた。「いつから日本に来てるの?」僕がそう言うとドナが中年男にハングルで話した。中年男がドナと僕を交互にみながらハングルで何やら喋り、最後に僕に握手をしてきた。それをドナが日本語で僕に伝える。「昨日、来たばかりだって。観光案内をしてくれるなんて嬉しいよ~はい握手~、だって」
ドナの奇妙な行動で、僕は男女8人の団体観光客の観光案内をすることになった。それにしても韓国人というのはどうしてこうもみんな同じ顔なのだろう、と思った。目はみんな一重でつり上がっていて唇が薄いく、顔は四角い。僕は彼らの顔を見ていると、ドナが本当に韓国人なのか疑いたくなった。本当は韓国語を喋れる日本人ではないだろうか。だって、ドナの目は二重で大きく、ぷりっとした唇で、本当にかわいい顔をしているのだもの。それに、ドナは彼らみたいにやたらとでかい声で喋らないし、彼らより何倍も落ち着きがある。韓国人の団体に混じるとドナだけが浮いて見えた。男女8人の団体観光客は、一緒に歩いていると途中で必ず何人かいなくなる。それで「どこいった?」みたいになり、はぐれた何人かはしばらくすると戻ってくる。そんな彼らと歩くと、なかなか目的地にたどり着けず、疲れる。僕とドナが最初に案内したのは「ブルーブルー」だ。ドナが「横浜で一番おしゃれな店」とでも適当に言ったのだろうか。野球のホームベースのような顔をした韓国人の男は、「これいいね」というような事を言って、あるニットキャップを気に入り、レジで買っていた。ホームベース男は満足げな笑みを浮かべて、今買ったばかりのニットキャップを被った。そのニットキャップには舟の碇マークが刺繍されていた。僕のカバンの中にはさっき買ったばかりのまったく同じニットキャップが入っているが、「しばらく被ることはないだろう」ホームベース男の笑顔を見て、僕はそう決めた。その後、彼らを連れてきたのは、中華街の南門近くのチャイニーズカフェだ。そこで中国茶をみんなで飲んだ。僕も飲んだ、が、やっぱりマズイ。韓国人たちはみんな「マッシタ、マッシタ(うまい、うまい)」と言っていた。そして、その後、大正時代から残されたヨーロッパ調レンガ造りの美しいビルを眺めに行った。そこでドナは韓国人たちに「赤い靴はいてた女の子」の歌を歌って教えた。しかしドナはやっぱり「異人さん」ではなく、「おじいいさん」と言って歌っていた。そして最後にマリンタワーを案内した。そこでドナはチケットの話を彼らにした。普通ならただの「たかり」だと思われるとこころだが、ドナの人柄の良さからか、彼らはみんな興味津々でチケットを買ってくれた。僕を指差し、「この人が歌うよ」と、そんな風なことをドナがみんなに言うと、みんな「わぁぁぁ」とか言って僕に拍手をしだした。僕はまだ何もしてないのに突然拍手をされ「どうも、どうも」とペコペコしてしまった。とにかく、チケットを買ってもらったので良しとした。彼らもきっと楽しんでくれるはずだ。そして、楽しませる自信もあった。それにしても、この日はドナの意外な姿を見たような気がした。ドナの勇気というか、根性というか、行動力は驚かされた。しかも、困っている僕の為にしてくれたことが、なによりも嬉しかった。こんな気分のときはみんなを楽しませるライブをする自信がわいてくるのだ。
次号、「第29話 横浜の夜、最後の夜」に続く・・・
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