第25話 トゥー・トゥー・トゥー
(ねぇ、まっすぅ、何をそんなに悩んでいるの?)え、いや、別に悩んでいるとかじゃないんだけどさ、何て言うか、俺、すごく好きなのだよ、あの女のこと。(恋ってやつだね)恋だか愛だか知らないけど、うん、あんな女、どこにもいないような気がするよ、俺にはそう思う。(美恵ちゃん?)いや、美恵ちゃんじゃないんだ、美恵ちゃんはすごくいい子だし、こんな俺でもちゃんと好きでいてくれる、でも、美恵ちゃんじゃないんだ、美恵ちゃんは恋人だけど、二人の恋はとても中途半端に思えるんだ、美恵ちゃんじゃない、美恵ちゃんじゃないんだ。(やっぱりあの韓国人の子だね)うん、そうなんだ(じゃぁ、その子にさっさと好きだといって、美恵ちゃんとは別れるべきだよ)好きだなんて言えないよ、それになんか、そんな事言わなくてもいいような気がする。(なんで?)なんでだろ、恥ずかしいとか、振られるのが恐いとか、そういうことじゃないんだけど、言いたくないな、好きだとかなんだとか。(じゃぁ、美恵ちゃんと別れないの?)何度も別れ話をしようとしたよ、だけどいつも言えないんだ、美恵ちゃんの優しい目が言わせないみたいな。(美恵ちゃんも気付いているのかもしれないよ)え?(美恵ちゃんとはもうすぐで付き合って1年が経つだろ?1年も一緒にいる男のことなんて女はわかるんだよ、勘でね、女の勘ってすごいんだよ)じゃぁ、俺が他の女のことが好きになったってことを勘でなんとなくわかっているのに、美恵ちゃんはあえて俺にそのことを問い詰めたりしないってこと?(そういうことだね)そうだとしたら余計に俺は苦しいじゃないか(とにかく、まっすぅが、あの子に好きだと言わなければ、何も始まらないし、何も終わらないと思うよ)
っという夢から覚めるともうすっかり夕方だった。時計を見ると午後の7時になろうとしていた。「しまった!」と思い慌てて携帯を掴んだ、画面にはナオヤからの着信履歴でいっぱいだった。この日は4時からスタジオ練習でREDに集合することになっていた。横浜のライブが近かったのだ。4時から7時の3時間で新曲をなんとか完成させるつもりだった。昼近くにロバート・ジョンソンのCDを買いに行き、家で聴いていた、だがいつの間にか眠りに落ちてしまい、気がつけばスタジオ練習終了時間に目が覚めたのだ。僕は慌ててナオヤに電話をかけた。
もう練習終わったよ、何でお前はそんなに怠けものなんだ、頼むからしっかりしてくれ、ばぁぁぁか・・・・。ナオヤの暴言に寝起きの僕の心は傷ついた。ごめん、としか言えなかった。僕は自分のやることなすこと全部が中途半端に思えた。バンドだけは本気になっていたが、今の僕はそれさえも別のものに心を奪われかけていた。ドナだ。ドナに出会ってから、僕はどこかフワフワしていて、どこの地にも足を着けられずにいた。みんなごめん・・、なにか泣きそうな気持ちになった。夕方に目が覚めて、まして、家が静まり返っていたときは、よくこうやって一人感傷的な気分になることがある。
メンバーにちゃんと謝ろうと思った。練習終わりだから、きっといつものファミレスにいるに違いない。僕は自転車をこいだ。電話をしよう。いや、やっぱりやめよう。みんなに謝りに行くのもやめよう。こんな中途半端な態度は、逆にみんなからヒンシュクをかうだけだ。なんか全部が面倒くさく思えた。誰かの家に行ってマリファナでもご馳走になろうか。やめよう、くだらない。僕は自転車をただただこいだ、夕日は沈み、空はもう夜になろうとしていた。僕は中学生の頃以来、久しぶりにタバコを買った。たまに人から貰って吸ったりはしていたが、自分でタバコを買うのは、高校生になってから初めてのことだった。通りすがりのサラリーマンに火を借り、マルボロに火をつけて、プカプカと吹かしながら自転車を走らせた。五反野駅付近のネオンは雑居としていて、派手でもなく地味でもなく、なんとなく心が落ち着いたが、相変わらず気分は晴れないままでいた。こんな気分を和らげることのできる人は1人しかいるわけがなかった。
僕はドナに電話をかけた。僕はドナに電話をかけることなどめったになかった。僕はシャイなのだ・・。本当に用があり、今すぐ話さなければいけないことでも無い限り、僕はドナに電話なんてしなかったし、そもそも本当に用があり、今すぐ話さなければいけないことなど今までなかった。「ねぇ、ドナ、今どこにいるの?」「カラオケスタジオだよ。あ、韓国お土産あるよ、この前渡すの忘れちゃって、とりに来られる?」「もちろん、すぐ行くよ、今、五反野の駅前だからさ、30秒で着くよ!今日は誰と?」「今日はマリちゃんとだよ」誰?と電話の向こうでマリちゃんの声が聞こえた。「ドナ、あと3秒で着くよ!」と言って僕はカラオケスタジオの入り口ドアを元気よく開けた。「ギター貸して、今曲が思いついたんだ、忘れちゃいそうだからギター借りるよ」僕は店に入るなり、ロッカーからドナの重たいグレコを取り出し、ここに来るまで頭の中で流れた曲をコードを探しながら弾いた。[めんどくせぇ めんどくせぇ 俺にかまうな めんどくせぇ ギルぜ ギルぜ アイアム ギルティー 反逆者の発射台 血だらけの 俺はギルティー わぁあああああ]勢いのあるいい加減な詞だったが、曲調はEmのドンヨリしたものだった。なんだそりゃ、と言ってドナは笑い、うるせぇ!マリちゃんは言って、あれれ思ったより良くなかったなぁ、と僕は言った。「ハウス!」とマリちゃんが言ったので僕はグリコのギターをかかえながら大人しくいつものカラオケルームに向かった。部屋に入るとしばらくしてメロンソーダとコーラを持ってドナが入ってきた。「ドナ、今日はなんのCDも持ってきてないんだ」「いいのいいの」とドナは言った。「まっすぅ、何かあったでしょ、正直言いな」「え?なんで?」「いや、だって・・」「そこまで変だった?今の曲」「・・・はい!変!」そんなことを言って2人で笑った。
「カラオケでもしよかな」僕がそう言いカラオケの歌本をペラペラとめくった。「めずらしいね、まっすぅカラオケなんて」とドナは言った。「ボーカルは練習を怠れないのさ」そんな僕の言葉にドナが笑って言った「今日、練習サボったのにね~」「え?何で知ってるの?」「今日、練習帰りにナオヤ君が来てね、言ってた。ダメじゃない。」僕のカラオケ本をめくる手が止まった。「ナオヤ?・・・なんでナオヤがドナに会いに来たんだ?」「・・・それは、秘密なのよ」ドナの持ってきた僕のコーラの入ったコップが水滴を垂らしている。僕はとても残酷な想像に支配された。ナオヤとドナの関係、どんな関係?ドナはナオヤが好き?ナオヤもドナが好き?2人で何も知らない僕を笑っている?僕は身体中の血液が抜かれる思いだった。なぜ秘密なんだ?なにが秘密なんだ?僕はドナに好かれているかもしれないと少し思っていた、そんな思いは妄想だった?勝手な僕の思い込み?僕はドナにその秘密とやらを問いただせなかった。何かを聞けば、何かを言えば、僕はますます惨めになるだけだ。
「ふ~ん」そう一言だけ言って僕はカラオケ本を意味もなくめくった。
どれくらい時間が経っただろう、僕はカラオケ本をいつまでもぺらぺらしていた。ドナは黙ってベースを弾いている。何か、歌わないと・・そう思い、何となくブルーハーツの「キスしてほしい」を選曲した。ドナは「おう、これ弾ける、簡単」と言ってカラオケにあわせてベースを弾いた。僕は歌った。恥ずかしい歌だ。「教えてほしい 教えてほしい 教えてほしい 教えてほしい 終わることなど あるのでしょうか 教えてほしい」僕の気持ちと同じだった。何かが終わるのが恐かった。ドナを好きでいることは、何をしても楽しめるということで、そうじゃなくなったら、それはただの虚しい世界に変わる。それならば教えてほしい、僕のこんな気持ちはいつ終わるのか。ドナは楽しそうだったが、僕は楽しくなかった。僕はまた「キスしてほしい」を選曲した。ドナはまたベースを弾いた。曲が終わるとまた何度も「キスしてほしい」を歌った。ドナは呆れたりしないし、飽きたりもしない。僕は無理に笑顔を作り歌う。ドナは自然な笑顔でベースを弾く。ドナは曲が終わる度に氷の入ったメロンソーダを口に含んで「簡単簡単」と自慢する。僕はお腹が痛くなってきたので、のどの力だけで歌う。キスしてほしい キスしてほしい キスしてほしい キスしてほしい 二人が夢に近づくように キスしてほしい。僕は、ナオヤが僕に黙ってコソコソとドナに会いに来ていた事を忘れようとしていた。頭の中がトランス状態になるまで、ずっと歌った。ドナは楽しそうだ。わけがわからない、何だこの状況は、僕達は何しているのだ、誰もそんな事を言う人はいない。ドナの心に誰が映っていようと、ここは二人だけの場所なのだ。誰かに嫉妬して、僕はドナに対する気持ちが沸点に達しつつあることに気づいた。
だからあの時、僕はドナの唇にキスをしてしまったのだ。
次号、「第26話 メロンソーダの味」に続く・・・
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